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本当は、誰も死にたくなかった・・・特攻隊の慰霊塔の前で

8月15日の午前中は、浜田の海岸で海をみた。錦江湾のかなたに、開聞岳と桜島がくっきり見えた。砂はまで遊ぶ家族連れ。正午すぎ。鹿屋の特攻隊慰霊塔の前で、手を合わせた。高校生の娘と東京に住む妹と彼女の中学生の息子と3人。908人の二十歳前後の若者の名が刻まれた石碑の前で、友人の兄の名を探す。青々とした空に浮かぶ白い雲。クマゼミがなく木立。足が悪く慰霊塔の階段を登れない母が、芝生の向こうで手を振っている。老いた両親や幼い弟妹を残して、だれが喜んで巨大な米戦艦に突撃しただろう。本当は、だれも死にたくなかった。17日の朝日新聞。「やっぱり、いやだなあ。かあちゃん、会いてえなあ」と叫びながら次々出撃する特攻隊員を描いた演劇をみて、開戦時の首相東条英機の孫にあたる女性が、「若者の純粋な思いに涙があふれた」「当時は命をかける値のある国家だった」と感想を語っていた。当時の国や政治を美化する発言を聞くと、悲しい。出撃するかどうかの自由もなく、「国のために死ぬ教育」を徹底的に叩き込まれ、「非公民」「卑怯者」のそしりを受けないためには、出撃する以外なかった。うその大本営発表に国民の多くがだまされて、赤紙一枚でいやおうなく徴兵され、国土防衛とは程遠いビルマやフィリピンやニューギニアなどにおくられ、爆撃にあい、殺され、傷つき、ジャングルをさまよい、飢え、マラリアに倒れ、死んだ。そんな時代に、「美しい国」などと言ってもどそうとする人たちがいる。世界一の軍事大国アメリカは、イラク戦争ですでに3千人の若者を死なせた。安倍総理は、このアメリカと肩をならべて戦争したいよう。えらい人たちは安全なところにいて、戦場におくられるのは、いつもふつうの庶民。10年も仕事がなく、月に十万円程度の収入しかないフリーターの若者が、テレビで「憲法を変えていい」と発言していた。フリーターでいるよりは、戦争に行ったほうがまだいいという彼の言葉。定職にないつらさは、身にしみてよくわかる。が、・・・格差と貧困をなくし、憲法9条をまもることの大切さを痛感した夏だった。