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2015年。議員17年目にあたって

1998年の11月に41歳で初当選したので、2015年は、議員になって17回目の新年を迎えたことになる。当時はもちろん、今よりずっと若かったから、子どもたちの通う小学校や中学校で、役員もしながら、自転車で東に西に走り回り、中学校給食の実現をめざす運動や、学校の老朽施設の改善、通学路の安全や環境問題、さまざまな暮らしにかかわる相談活動など、それはそれは忙しかった。障がい児を二人育てていたお母さんが過労で倒れ亡くなって、障がい児の預かり制度を議会で提案した時は、大勢の市民が議会に詰めかけ、涙ながらに傍聴してくださった。小学校の老朽化していた国旗掲揚台の鉄のポールが倒れ、子どもの頭を直撃して亡くなったときのことは、今も忘れられない。学童保育所の子どもが、保育中に学校前の川でおぼれて亡くなったのも衝撃だった。安全と思っていた学校で、わが子を亡くした親の悲しみははかりしれない。子どもの命にかかわる「学校施設の改善」をつねに議会で求めていった。原発、暮らし、子育て、貧困、仕事、環境、老後、街を歩けば、次から次に市民の切実な願いに出会う。利権がらみとしか思えないムダな事業に、湯水のように税金が使われて、なぜもっと身近な市民生活にかかわるところに、税金がいかないのか?税金の使い道を変えれば、もっといいことがたくさんできるのに。議会で、活発に発言すればするほど、怒鳴られ、のけ者にされ、心の休まる時がなかった。「女が何か」「共産党がなんか」地方の旧態依然とした、暴言のまかり通る「品性のかけらもない議会」。初めて出席した議員全員協議会で、意見を言って「貴様黙れ」と議長に怒鳴られた日、市民文教委員会の年配議員から、「ここでは声の大きなものが勝つとよ」と言われ、愕然とした。議会は、市民を代表して議論するところなのに。        ×     ×    ×1年前の選挙で、良識ある議員が複数当選しただけで、議会の雰囲気はずいぶん良くなった。面と向かって、私に暴言を吐く議員がいなくなった。女性や、障がい者や、若い人たち,さまざまな階層の人々が、もっともっと議員になって、普通の感覚で活発な議論ができる議会になってほしい。それが財政難と閉塞感に苦しむ地方を救う大きな力になるだろう。