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6月議会12日の一般質問で、「子どもたちに伝えたい平和の尊さについて」質問した。そのなかで、当時人口4万5千人だった糸島市(旧糸島郡)で、なんと2299人の若者が、戦争で犠牲になったことがわかった。かけがえのない夫、父親、息子を失った人々の悲しみ、つらさは、言葉に尽くせなかったろうし、それだけの青年が命を落としたとなれば、社会的衝撃も相当なものだったと思う。戦後70年で振り返る市の戦争被害についての質問を記しておく。※答弁は、『糸島の風』で書きます※1、 今年は戦後70年。戦争の惨禍を子どもたちに伝え、平和の尊さを語り継ぐことは非常に大切です。第二次世界大戦では、世界で6000万人以上、日本ではおよそ310万人が亡くなったと言われています。糸島市でもたくさんの若者が犠牲になったと思います。市の戦死者は何人でしたか。2、福岡県全体では、何人でしたか。3、愛する夫やお父さん、かわいい息子を亡くした遺族の悲しみ、苦労は、計り知れません。傷を負って帰国した傷痍軍人の方は何人でしたか。4、寝たきりの親がいるとか、妻が病気とか、家庭の事情があっても徴兵は拒否できず、戦争に行けない障害者は、「非国民」と差別されました。戦争をするかどうかを決めるのは、国の権限です。しかし戦争が始まれば、実際に召集令状を配るのは地方自治体の仕事でした。徴兵された人は、何歳から何歳まで何人だったか、わかっていますか。5、戦没者は主に、どこで亡くなったのですか。6、餓死やマラリアなどで命を落とした人も多かったと聞きます。片道だけの燃料で、爆弾を抱えてアメリカの軍艦に突撃する特攻隊、人間魚雷。このような悲劇的な戦死をなさったかたは、どれくらいいらっしゃったのですか。7、戦没者の遺族の状況をうかがいます。8、戦争末期には、米軍のB29による本土空襲が激烈になります。雷山空襲の被害についてうかがいます。9、きのうも福岡空襲で逃げ惑ったという市民の方にお会いしました。またある方は、長崎原爆で家族が全滅し、子どもだった自分一人が生き残って福岡へきましたとおっしゃっていました。市における被爆者の実数がわかりますか。10、70年たっても、世界に核兵器が何万発もある中で、被爆者は、核兵器の廃絶と戦争のない世界を願っておられます。戦争に反対して治安維持法で検挙され、投獄された方々も、戦争の犠牲者だと考えます。逮捕者は数十万人、送検された人75,681人、小林多喜二のように取り調べ中に虐殺された人もいます。福岡県でも数百人が検挙されたと言われます。市の犠牲者についてわかっていますか。②戦争を語り継ぐことの大切さと憲法9条について1、ここに雷山空襲の悲劇を伝える紙芝居があります。これは各学校の平和学習でも活用されていますか。また学校での平和教育はいまどのように行われていますか。2、福岡大空襲では1100人以上、東京大空襲ではおよそ10万人が焼死し、広島・長崎の原子爆弾では20万人がその年に亡くなりました。空から爆弾が降る無差別爆撃は、一般市民を多数犠牲にし、残酷であまりに非人道的です。これらは国際法に違反しないのですか。3、70年間、戦争放棄の憲法9条のもとで、日本の自衛隊は、海外で戦闘行為を行うことはありませんでした。今の憲法の下で、市が行っている事務は、自衛隊の募集だけですか。4、アフガンで井戸を掘り、かんがい事業に取り組むペシャワール会の中村哲医師は、「憲法9条があるから、安心して紛争地域で活動できる」と語っています。③子どもや孫の世代に、豊かな自然と平和な社会を残すための自治体の役割について1、最近も雷山空襲の被ばくの後をたどる冊子が刊行されたと糸島新聞にありました。駅前で、核兵器廃絶の署名活動をしている市民グループや、平和劇を続けている市民もいます。非核平和都市宣言をしている北九州市は、今年、長崎へ親子150組を派遣する被爆地ツアーを計画しているそうです。糸島市は、どのような事業を行っていますか。2、飢えや栄養失調で亡くなった子どもたちは、戦争の犠牲者には含まれません。先日、伊都美術館で開催された100人の母たちという写真展で、輝く笑顔で子どもを抱くお母さんの自信と幸福に満ち溢れた写真を拝見しました。青い空、広がる麦畑。平和と自然の中にこそ、人の平凡な幸せがあることを改めて痛感しました。最後に、月形市長の平和への思いをお聞かせください。3、戦争被害では、日本の海外派兵によるアジア諸国への加害責任も忘れてはなりません。政府の行為で再び戦火が起きることのないよう、平和の尊さを伝えていく決意を述べて、次にうつります。