ながらく、ブログを休みましてご迷惑をおかけしました。
過労気味でパソコンを開くのが苦になっておりましたが、立ち直りました。
あちこちから「なにしてんだ?元気出せよ」との励まし。
ありがとうございます。
6月議会、ほんとにたくさんの傍聴、ありがとうございました。
「はじめて議会の傍聴に行きました。あっという間の1時間。疑惑追及の伊藤さんの熱意に、市長もたじたじでしたね。議会にこれない市民に、ぜひ、このことを知らせてください」と電話を下さった男性の方。
初めて傍聴したという40代の女性は「傍聴席は、みんな身を乗り出して聞いていましたよ。クリーンな政治へ、がんばって!」とメールを送ってくれました。
物価があがり、若者にまともな仕事が少なく、お年よりも後期高齢者医療で苦しめられ、だれもかれも苦労している時に、ずさんな用地取得で県民にばく大な損害を与えながら、全く反省の気持ちが見えない。
税金でなく、自分のお金なら、もっと慎重だったでしょう。
いえ、癒着さえ疑われる会話の数々。少しずつ、書いていきます。
県の産業団地リサーチパークをめぐる用地の取得問題は、県議会から前原市議会へと論戦の場が移り、6月議会では11日に北畠議員が、12日に私が一般質問した。
市が「土地取得前からS社の土地に産廃があったことを認めた」場面が、夕方のテレビ(めんたいワイド)で流れ、市民のみなさんから、あちこちで「伊藤さん!、テレビに出てましたね!」と声をかけられた。
わずか数分のニュースでも、影響は大きいと、びっくり。
翌日の西日本新聞には、市長が「県の事業。答える立場にない」と答弁し、私が「あなたが、疑惑解明のカギ」と追及した場面が記事になった。
この間、いろいろな新聞が取り上げて「不可解な土地取引」と報道したが、これに市が深く関与していたことは明白。
このことを追及した記事を載せた「前原の風7月号」が完成したので、今週末から市内全域に配布する。
通りがかりのお店のおじさんは「前原の風が楽しみばい」と私に声をかけてきた。
配る前から、こんなに待たれているビラもめずらしい。
前原の風にのせたS社の土地取得の経過を簡潔にしるしておこう。
S社の土地取得までの経過
2000.8.8 S社会長が前原市長に嘆願書を提出。 「自社の用地に産廃3万トンが投棄されている…」
それに対して合議が開かれる。
03.6.23 県企画振興部長(現・松本市長)が当時のH市長に、S社の土地を取得し開発する」と提案。H市長「議会からS社救済と言われそうだ」と発言。(この頃、日本共産党などが「ホテル救済の道路建設」問題で追及していた)
04.3.18 県の部長(現・松本市長)がS社を訪問。
「S社の土地を交換で取得したい」と申し出る。
04.3.25 市と県とS社の会議。
市は「リサーチパーク予定地の土地買収に、全面的に協力する」とS社に約束。そのための協議を繰り返す。
04~6年 市は、リサーチパーク予定地内に土地を持つA氏に「S社に土地を売ってほしい」と何度も交渉。
04.3.30 市と県の会議。 市「農地転用できず、所有権移転できないとS社から相談されていた」
04.8.2 市と県が「契約の覚書」について協議。ところが、県と覚書を交わしたのはS社でなくA社。しかし以後もA社と交渉した記録はない。
06.4.13 市長に当選した翌年、松本市長が部課長を連れて中央区のS社本社を訪問。 会長から「二本の事業が同時に進行して、すばらしい」と感謝される。
二本の事業とは県と市の産業団地。S社は大口地権者。
06.7.4日 県とA社の「土地の等価交換の契約」が成立。
同日、A社はすべての県有地をS社に移転登記。 A社はその後、「休眠状態」で事務所もない。
07.10 造成工事前、県の住民説明会(前原東行政区)で、 「産廃が埋まっている」との情報が寄せられる。
07.11 県の調査で産廃と有害物質(ヒ素・鉛など)が環境基準を上回って検出され、工事がスト ップ。
08.3月 県議会で問題に。
以後テレビ、新聞等マスコミが「不可解な土地の等価交換」と大々的に報道。
08.6月 県議会「想定19万トンの残土が埋設」、 「等価交換では『損害賠償の請求権を放棄する』のが一般的」と県当局が答弁。
08.6.9 県議会・厚生労働環境委員会が、現地のリサーチパーク視察。