「いとうせんせ、市役所の言うことが、 ようとわかりません。いちど、来てくれんですか。」
80代半ばのAさんが、電話の向こうで言った。
「いいですよ。あした朝、10時にいきます。待っててくださいね」
翌朝、行くと深々頭を下げて、
「学校もいっとらんし、年もとっとるし、 説明書きを見ても、わからんことばかりですけん、ご迷惑かけます」
数十年も前に、子どもさんとは仲たがいをしたまま、行き来はない様子。
「早くおかあさんとこに行きたか、思いますばってん、簡単に死なれんとです」
「死ぬなんてまだ早いですよ。80歳までがんばって働いたのに。毎日、顔を見せてくれる職場の後輩の方もいらっしゃるでしょう」
「そうですと。買い物を毎日してくれるとです」
「そんな親切な人はなかなかいませんよ。Aさんがいい人だから、そうしてくれるんですよ」
「はい。でも、お墓も買いきらんまま、年とって。海にでも投げてもらいましょうか」
「私が市役所と相談してちゃんとしますから、死ぬことばかり考えないでいいです。 そのときがきたら、『よく働いた誠実な人生でした』って、集まった方々に私が胸をはっていいますから」
笑顔になったAさんは
「ご迷惑かけて、わたしはまだ、生きててよかでしょうか」と言った。
「もちろんです。でも、足元が少しふらついてきましたね。介護認定の調査にきてもらいましょうか?福祉のみなさん、みんな優しいですよ。ヘルパーの若い女性が訪ねてくると、気もちも明るくなるでしょう」
「おねがいします…」Aさんと会うたびに思う。
なんと謙虚なひとだろう、と。
ひとり暮らし、夫婦二人の高齢者が、市にも何千人といらっしゃる。
戦争、食糧難と苦労して生きてこられた世代。
最後まで人間らしく、温かく。
孤独にならないように…高齢者の方々と接するたびに、そう願わずにいられない。