90歳と11か月で夫の母が亡くなって10日。
11月に「まむし温泉に行きたい」と言うので夫が連れて行き喜んでいたのに、12月になって急に体調が悪くなり、日ごろお世話になっている医院でレントゲンを撮ると肺が悪くなっていて、酸素ボンベが必要になった。
それから徐々に弱って、最後は子どもたちの手を握り、苦しむことなく眠るように息を引き取った。
亡くなる2か月前まで好きな日本酒をたしなみ、相撲観戦に歓声をあげ、韓流ドラマを楽しみ、新聞を隅々まで読んでいた。
掃除も洗濯も自分のものは自分でして、立派な母だった。
5年前まで煙草を吸っていたから、それがなければもっと長生きできたかもしれない。戦後の混乱期、30代で夫を事故で無くし、4人の子を一人で育て上げた。
気が強くなければ、生きていけなかったろう。
清潔好きで、きちんとしていたお母さん。花火大会の時は孫娘やその友達のために、浴衣の着付けもしてくれた。おしゃれで、物持ちがよく、センスのいい人だった。
料理も上手だった。南高梅の梅干し、おから、かしわごはん、真夏のヌカ漬けのきゅうりとナスは絶品だった。
毎日、天国のお父さんに般若心経を唱えてあげていたね。
寝付いてから私が代わりに唱えてあげると、とても喜んだ。
おかげで私もだいぶ覚えたよ。
いつも仏壇のお花をきれに飾って、50年前のお父さんの若い写真を眺めていた。
よほど愛していたのね。
私が伊都采彩で花を買ってきて仏壇にあげると、「紫のトルコキキョウが一番好き」と喜んでいたね。入院まえ、私に「ちよこさん、ありがとう」って言ってくれたね。
私も、「いろいろ教えてくれて、ありがとう」って言ったよ。
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おかあさん、私はまた、猛烈に忙しくなってきたよ。
今日は、火事で焼け出された人を訪ねて行ったの。
少し障害のある彼は、両親が亡くなったら、自分の生活はどうなるか心配していたよ。国保税が高くて、バイトでは減免されても払いきれないと悩んでいるの。
みんなささやかな幸せを求めて一生懸命生きているのよ。
まじめに誠実に、肩寄せ合って。私たちを、天国からしっかり見守っていてね。