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「子どもたちの未来を、放射能の汚染から守りましょう」


今日、市役所の前で演説した。

子どものとき、泥んこになって思い切り遊び、運動会で走った後の母のお弁当のおいしさ。

だれにでもある忘れられない幸せな思い出。

学校帰りに道草食って、野いちごつまんだり、野ぶどう口に放り込んだり、桑のみ食べたり、暮らしはぜいたくではなかったけど、周りの自然に放射能の恐怖はなかった。

大地や空気や海が目に見えない放射能で汚染されたら、人類はどうやって生きていくのか。


今日、九電さんが議会に来て、津波で電源が喪失しても大丈夫との説明があった。

ひとつは、非常用電源。しかしこれは、私の質問で、制御室や弁の開閉など最低限の電力だとわかった。核燃料を冷やす目的ではない。

では、核燃料を冷やすのは、どうするの?原子炉を停止してもまだ熱が出る。

圧力容器から電気系統へ行く弁を閉じて、自らの冷却に使うという。

つまり自らの電力で冷やすということ。

どれくらいの時間もつのですか?わかりません。

その間に外部電源を確保するのでしょう。

外部電源をかくほするため、仮鉄塔を建設するというけど、訓練のようにうまくいくかしら。


訓練した日はよい天気で、風もなく、雪も雨もなく、抜群のお天気のだった。

鉄塔にのぼるのも気持ちがよかったでしょう。

しかし実際、原発事故が起きるのは、どんな嵐の日かわからない。地震の余震が頻発しているかもしれない。

たった1回の訓練で大丈夫とは言えない。

せめて、悪天候の日、放射能が漏れたのを想定した日の訓練も必要ではないの?

地震で圧力容器は壊れなくても、無数の配管が壊れるかもしれない。

配管はいくつあるのですか。

わかりません。

わかる人をお願いします。

玄海原発の36年間で、炉心にどれだけの放射能がたまっているのかも。

広島の何千、何万倍の死の灰がたまっているのか?


国は簡単に許可をださないで。

ひとたび事故が起きたら、その被害はあまりに大きい。人も動物もすめない世界になってしまう恐れがあるのだから。


14年前、アメリカのネバダに核実験の調査に行く機会があったが、あのときの現地の人(ネイティブインディアン)の話を思い出す。

「土地は祖先と未来の世代からの預かり物」ほんとうにそう。


13日の朝、新聞各紙は、福島原発一号機の炉心熔融を報じた。

核暴走とともに、原発の大事故ともいえる炉心熔融。

いっそう深刻な事態に不安がつのる。当局の情報もどこまで信頼できるかわからない状況になってきた。

玄海原発から40キロ圏内にすっぽり入る糸島市としては、福島の原発事故は他人事ではない。


玄海原発の安全対策は、本当に万全なの?朝10時から始まった糸島防災会議。

マスコミは多かったが、一般の傍聴は、私とひわだ議員の二人だけ。


市民には、今日の会議は知らされなかったの?

防災計画を見直すことになったのは、原子力災害から市民の命を守るため。

九州電力の所長さんが7分程度、スクリーンの図面を使って「安全対策」の説明をする。

その後、電源喪失時の復旧訓練の様子を10分程度、スクリーンで見せられる。

津波で電源が外部電源が喪失しても、大丈夫ということ。

原発の発安全神話が崩れ、炉心熔融という重大事故が起きたと全国が驚愕した日の朝だ。

きっと、市民の声を代弁して、防災委員からいろいろ質問が九電に対して出るだろうと思ったが、最後まで九電への質問はなかった。


37人の防災会議のうち19人は、市長、部長はじめ市役所関係。説明を聞いて、みなさん、納得したのかしら。

わずか10分足らずの説明で、安全対策を十分理解するのは無理と思うけど。

司会進行役の市長は、九電の説明後、質問や意見の時間を取らなかった。

外部電源が喪失しても、大丈夫ですという九電に対して、なぜその場で質疑の時間を取らなかったの?

九電の方々は、帰ってから本社に報告するでしょう。

糸島市の防災会議では、当社の安全対策について質問も意見もでませんでした。…と。


悪夢のような東日本大震災からまもなく2ヶ月。


巨大地震と大津波でじん大な被害を受けた岩手、宮城の両県は、全国からボランティアも駆けつけ、復興に向けて歩みだしている。


しかし原発事故で空気、大地、海に放射能汚染が広がった福島県では、広大な地域が立ち入り禁止で、復興の見通しがたたない。

事故が収束しないからだ。

原子力発電はひとたび大事故が起きれば、地球規模での破滅的な大災害をもたらす。

ふるさと離れ、仕事を失い、苦しい避難生活を強いられる住民の苦悩はいかばかりか。


子どもたち、未来の世代が、放射能という目に見えない恐怖に恐れおののいて生活しなくてもいいように、私たちには自然と環境を守る責任がある。

犠牲になる動物たちも哀れだ。

警戒区域の牛舎で、痩せ衰えた牛たちの悲しい表情に胸がつまる。

原発の安全神話はくずれた。今後あらゆる知恵と工夫で、自然エネルギーへの転換を図る努力が、地球規模で求められるだろう。

玄海原発の問題点は?

①糸島市の一部は、玄海原発から20キロ圏内にあるのに、事故が起きても九州電力から直接連絡がこない。(佐賀県庁、福岡県庁、糸島市と回りまわって…。)

②1号機2号機の老朽化。

③プルトニウムを使ったプルサーマル発電をしていること。

④緊急事態に備えた防災計画がない。

など。


4月22日、日本共産党市議団は糸島革新懇話会の一員として市の危機管理課と懇談,要望した。

原発賛成の人も反対の人もいっしょに考え、行動していくとき。


4月22日10時半 市役所危機管理課と原発問題で申し入れと懇談。


糸島革新懇話会のメンバー10人で。

1、玄海原発のすべての前面点検

2、老朽化した原発1,2号機の永久停止

3、危険なプリサーマル発電を中止すること

4、糸島市への迅速、正確な事故の通報

5、安全対策(モニタリングポスト、ヨウ素剤、避難経路場所、防護服、防護者など)

6、全住民を対象にした避難訓練

7、専門家を加えた24時間体制の部門を設ける


市は「当事者として強く安全対策を求めていく」「EPZ、避難区域の拡大を県を通じて国にお願いしていく」という回答であった。


4月8日、九電に市が申し入れをしたときの回答では、EPZは10キロ圏内であり、回答はせず、もちかえったという。早くその回答をきかせてほしいものだ。


3月議会で、防災委員に女性がいないことなど指摘したが、原子力関係の専門家も防災計画を見直す委員になっていない。

市民の不安にこたえる防災計画にしていく必要がある。


同日、夜7時から、伊都文化会館で、玄海町の原発対策住民会議の中秋喜道先生を招いて、学習会。

主催は糸島原水爆禁止協議会。(いつも駅で核兵器の廃絶の署名をしている)

会場は満員で百人くらいだったろうか。

福島原発事故が終息しないなか、たくさんの人が参加してくださった。

中秋先生の話もわかりやすく、実によかった。

国会議員で唯一、原子力の専門家は、日本共産党の衆議院議員、吉井英勝さんだ。

かれが、去年も5月26日に国会で「大規模地震などで電源が失われた場合、どういう事態をそうていしているのか」と質問したが、国はまともな回答も対応もしなかった。

想定外ではなく、人災。


きのうの朝日新聞に『長崎原爆は「実験」』という見出しで、原爆投下の真の目的は「新型兵器の威力を試す人体実験だった」という科学者の記事が大きく載っていた。

地獄を見た多くの被爆者は、どんな思いで読んだろう。


前原市内にも、長崎原爆で家族が皆殺しになった後、たったひとり孤児として戦後を生きぬき、ようやく幸せな老後を送り始めた矢先に、被爆時、体内に残ったガラス片の近くにガンがみつかり、闘病している被爆者の方がいる。


そんな彼を、国は申請して2年を過ぎるのにいまだに原爆症と認定していない。

戦前、日本の731部隊による中国での人体実験や、九州帝大での米兵の人体解剖なども、悪魔の所業としか思えない。


戦争は、人々を狂わせ、無数の人を不幸にする。

きのうの「原発学習会」でいただいた資料(佐賀新聞7月31日付)によると、柏崎原発の地震での揺れは、最大2000ガルを超えていたという。

建設されて30年をこえた玄海原発の1号機、2号機の耐震設計に用いられている基準地振動は、わずか180ガル。(5月に総務文教委員会で玄海原発の視察に行ったが、九電からはそのような説明はなかった)


地震列島に、なぜ危険な原発をいくつもつくるのか?

長崎原爆で使われたプルトニウム。それを使う玄海原発での「プルサーマル計画」の危険性と問題点がよくわかった。

前原市は、もし事故がおきたとき、放射能なら数十分で到達するくらいの地点。

「電気を使っているんだから、しょうがなかろうが」というのではなく、地球温暖化やエネルギー政策の転換もふくめて、おおいに議論し、行動するときかも。


大隈半島の最南端は、青い海がまぶしい亜熱帯の町。

佐多町とよばれていた頃、ドライブに行ったら、海岸沿いはヤシの木が立ち並び、ハイビスカスの花が咲きみだれ、山から道路にかわいい野ザルが飛び出してきた。

山の奥のほうに、春にはサクラの名所、夏には、滝から流れ落ちる涼を求めて人々が集うステキな場所があった。

3月28日の西日本新聞、「核燃料廃棄物の最終処分場、南大隅町が断念」とあった。

知事が「反対の意向を示したため」町長が断念したとある。

知事の言い分は「県は観光や安心・安全な農産物作りに力を入れており、悪影響の出ることはやめるべきだ」と。

わたしの両親が住む隣町での出来事。


去年は、チェルノブイリ原子力発電所の大事故から20年。白血病やガンで苦しむ子どもたちの写真展を見たが、被害のひどさに圧倒されたのを覚えている。

「核のごみ」といわれる高レベル放射性廃棄物の最終処分場は、書類による調査を受け入れるだけで、国から年間10億円が公布される。空前の借金をかかえた国が・・・それだけで、いかにリスクが高いかわかる。


「タダより高いものはない」と昔の人は言った。まして・・・国が、「財政難」と、市町村のいのち綱、地方交付税を減らしつづけて、どこも財政難にあえいでいる。その地方に、札束をちらつかせて、核のごみを引き受けさせようとしている。

なぜ「財政難」になったか、考えも反省もせず。・・・腹が立つね。国のやり方は。

遠山の金さんなら、「ふてぇやろうだ!」と言うところ。だまされちゃいけない。

そこで、


○学習会のお知らせ「放射性廃棄物最終処分場に 二丈町がねらわれている」・・・ 4月5日 (木)午後1時半より3時くらいまで 

場所~田中研修センター 

講師~仲秋 喜道 氏 玄海原発住民会議世話人 玄海町東光元住職

ひわだ正子(二丈町議)「町長は、議会でどう答弁したか?」

連絡先・ひわだ326-5587


○今日は福岡市議選(西区)に立候補している熊谷あつ子さんの出発式に行った。議員でないのに、2000件の無料生活・法律相談におうじてきたがんばりには、ほんとにあたまが下がる。わたしなど、まだ400件くらいにしかならない。なんとしても、今度の選挙では当選してほしいと思った。


「二丈町で放射性廃棄物・最終処分場、誘致の動き・・・」

今日付けの毎日新聞のコピーがファックスで送られてきた。

「冗談じゃない!」と怒った似顔絵とともに。 


二丈町は、前原市の西隣。

海と山がきれいな人口1万3千人の小さなまち。

つい先日も、電車で二丈町役場に行ったが、あまりに電車からの眺めがいいので、みとれてうっかり乗りすごしてしまった。 


新聞によると、04年に町長が、高レベル放射性廃棄物最終処分場の誘致話を断ったのに、05年、06年、一部の町議が中心になり、地元建設業者、それに町の幹部が、原子力発電環境整備機構の説明会を町内で開いたり、福岡市でのシンポジウムに参加していたという。 

4月の町議会議員選挙の後、誘致請願を町議会に出すことも検討しているとか。

大変じゃない!町長はこのことを知らなかったらしく、「寝耳に水」と。 


処分場となったら、毎年200億円をこえるお金がまちに入るらしい。

安全性が問題だから、ぼう大なお金をだすのよ。二丈町に住む友人たちの顔が目に浮かぶ。

二丈町の共産党町議、ひわだ正子さんも、「町長に会いに行かなければ。玄海原発の学習会もまたやらなくちゃ…」と。

チェルノブイリ原発事故の支援や、夏ごとに、広島、長崎をくりかえすな、と平和行進をつづけてきた。


40歳のときには、「ネバダ核実験の被害」の調査で、アメリカにも行った。 

放射能、放射性廃棄物は、人間だけでなくあらゆる生き物の遺伝子に影響をあたえ、言語につくせない悲しみと悲劇をもたらす。

核実験場の周辺で、放射能に被ばくしたネイティブアメリカン(インディアンとよばれていた人々)の言葉をおもいだす。

「大地は祖先と子孫からのあずかりものだ」・・・


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