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連休中、ふたつの信じられないニュース。

ひとつは、トルコへの原発輸出のニュース。安倍晋三首相は、両国間による原子力協定の締結について「非常に喜ばしい」と表明したそうだ。

ほんとうに喜ばしい事だろうか?

三菱重工などによる受注契約に向けた詰めの交渉中で、官民一体で進めてきたという。

原発の安全神話が崩れたのに、なぜ外国に原発を輸出できるのか?福島第1原発では、今も汚染水漏れや15万人もの被災者が故郷離れ、苦しい避難生活を強いられているのに。

※ ※ ※ ※

ふたつめは、4月28日の政府主催の「主権回復」を記念する式典で、首相らが「天皇陛下万歳!」をしたニュース。

安倍氏ら三権の長がそろって両手をあげ、声を合わせたそうだから、打ち合わせ通りだったのだろうが、戦後の民主主義の中で育ったものには、違和感がある。

憲法9条を変えて軍隊を持ち、戦争ができる国づくりに執念をもつ安倍総理。

不安な気持ちになった。

過去の失敗、歴史に学ばなければ、さらに大きな苦しみを国民に与えることになってしまう。



天国のお母さん

2013年01月31日

90歳と11か月で夫の母が亡くなって10日。

11月に「まむし温泉に行きたい」と言うので夫が連れて行き喜んでいたのに、12月になって急に体調が悪くなり、日ごろお世話になっている医院でレントゲンを撮ると肺が悪くなっていて、酸素ボンベが必要になった。

それから徐々に弱って、最後は子どもたちの手を握り、苦しむことなく眠るように息を引き取った。

亡くなる2か月前まで好きな日本酒をたしなみ、相撲観戦に歓声をあげ、韓流ドラマを楽しみ、新聞を隅々まで読んでいた。

掃除も洗濯も自分のものは自分でして、立派な母だった。

5年前まで煙草を吸っていたから、それがなければもっと長生きできたかもしれない。戦後の混乱期、30代で夫を事故で無くし、4人の子を一人で育て上げた。

気が強くなければ、生きていけなかったろう。

清潔好きで、きちんとしていたお母さん。花火大会の時は孫娘やその友達のために、浴衣の着付けもしてくれた。おしゃれで、物持ちがよく、センスのいい人だった。

料理も上手だった。南高梅の梅干し、おから、かしわごはん、真夏のヌカ漬けのきゅうりとナスは絶品だった。


毎日、天国のお父さんに般若心経を唱えてあげていたね。

寝付いてから私が代わりに唱えてあげると、とても喜んだ。

おかげで私もだいぶ覚えたよ。

いつも仏壇のお花をきれに飾って、50年前のお父さんの若い写真を眺めていた。

よほど愛していたのね。

私が伊都采彩で花を買ってきて仏壇にあげると、「紫のトルコキキョウが一番好き」と喜んでいたね。入院まえ、私に「ちよこさん、ありがとう」って言ってくれたね。

私も、「いろいろ教えてくれて、ありがとう」って言ったよ。

※ ※ ※

おかあさん、私はまた、猛烈に忙しくなってきたよ。

今日は、火事で焼け出された人を訪ねて行ったの。

少し障害のある彼は、両親が亡くなったら、自分の生活はどうなるか心配していたよ。国保税が高くて、バイトでは減免されても払いきれないと悩んでいるの。

みんなささやかな幸せを求めて一生懸命生きているのよ。

まじめに誠実に、肩寄せ合って。私たちを、天国からしっかり見守っていてね。



台所で明日の夕飯の支度をしながら、いつものようにラジオを聴いていたら、乱立した政党とくるくる政党を渡り歩く政治家の様子を

「いまワシは、何党かね?と秘書に聞き…」という川柳を紹介していた。(日本共産党の市田忠義書記局長の記者会見の発言から)じゃが芋をむきながら、思わず笑ってしまった。自分の当選しか考えていない政治家のとぼけた顔が浮かぶ。政策などは、どうでもいいのね。



映画を愛する皆さん、文化を愛する糸島のみなさん。

明日、伊都文化会館にて、新藤兼人監督の99年の人生をかけた最後の最高傑作、「一枚のハガキ」が、昼夜二回、上映されます。

1回目は午後2時から。2回目は夜7時から。大竹しのぶ、豊川悦司主演。入場料は一人1千円。高校生以下の子ども、障がい者は、500円です。

戦争末期、徴集された兵士100人のうち、94人が戦死し、6人が生きて帰ってきた。

その生死を分けたのは、上官が彼らの任務先を決めるためにひいたクジだった。

戦争ですべてを失った男と女。

彼らを巡り合せたのは、一枚のハガキだった。あとは、映画で…。

「心打つすばらしい映画を、ぜひ糸島で上映したい!」と、市民が実行委員会をつくり、実現にこぎつけました。

ぜひ、ごらんください。



秋の空気は澄んでいる。夜空の月がきれいだ

相談者の家から帰ろうとすると、神々しいばかりの満月が高々と光り輝いていたこともあれば、今日のように、赤い半月が夜の街をひっそりと悲しい物語を聞かせるかのように照らしていることもある。

働くのに精いっぱいで、気が付けば老後を前に「5万円か6万円の年金しかでない」という市民が多いのに驚く

いつも腰を折るように畑で働く高齢の女性は、私の姿を見かけると、いつもたくさんの野菜をもたせてくれる。駅で別れた若い女性は

「中央ルートなんかいらないから、前原の中心市街地にもっと活気がでるようにしてほしい」と言う。

重度の障害児をかかえたおかあさんは

「自分がいなくなってから、この子が人間らしく暮らせるか…」と心配している。

夫が過労で倒れて一人で子どもたちを育てる女性と、会社を相手に交渉したこともあった。

私は議員の仕事が好きだ。

ふつうの市民の日々の喜びや悲しみや、ときには悔しさや怒りをともに共有し、ときに涙し、ときにほっと安堵のため息をつき、当たり前の普通の願いや声を議会で訴える。

でも、糸島市では、その当たり前のことを訴えることがなんと難しいのだろう。

出るクギは打たれてばかり。


お月様。子どもの頃も、あなたが大好きでした。

山に囲まれた田舎の家で、きれいな目をした牛や、にぎやかな鶏たちや、食いしん坊の子ブタたちや、働き者の父母や、心やさしい学校の先生や、仲良しの友達に恵まれて、人の役に立つ仕事をしたいと思った。

だから、議員に立候補する決意をしたのです。14年前に。

市民が苦労して払った税金を、大切に使えば、もっともっといいまちになる。

本当です。だから、あきらめないで…明日も。



                
雨でも多かった・・・糸島クラフトフェスの様子

政治的には問題があるが、糸島市は自然環境がとても美しく、魅力的な人々がたくさん住んでいることも、知ってほしい。

青々と光り輝く海。新緑のまぶしい山々。
太古の歴史を感じさせる豊かな農村風景。
芸術家、職人、文化人が集い、食材の宝庫であるいとしま。私が出会う普通の人々も輝いている。
子どもたちのために、原発なくそうとがんばっている人たち。障がいを持ちながらも、生き生き活動している人たち。
駅で笑顔で署名を取っている方たち。公民館で、学校で、市役所で、町角で、商店で、田んぼのあぜ道で、文庫で、実にいろいろな場で出会う市民のみなさんは、謙虚で明るくいい人たち。16日は敬老会のお手伝いに行った。
今年も心を込めて食事の用意や楽しい宴会の準備に汗を流している町内の役員さんたち。本当に頭が下がる。18日に出かけたクラフトフェスタの賑わい。
若者であふれていたサンセットライブ…
不景気の波で市民生活は大変だけど、手を取り合って、いいまちにしていこう!一歩ずつ…


田舎の山奥の実家で5日間過ごした。

パソコンを見なかったかわりに、老親とテレビでオリンピックを観戦し、梅ちゃん先生の朝ドラを見た。

レスリングの小原選手や卓球の愛ちゃんや水泳の康介選手の涙にもらい泣きしたり、懸命にたたかう選手の汗や美しい鍛えられた容姿に感心したり、人種、国、民族を超えて感動を分かち合い、笑顔あふれる人々のすがたに平和のありがたさを痛感したりだった。


世界は、アメリカや中国のような大国ばかりではないことを教えてくれる。

世界を占める多くの小さな国々が、弱肉強食ではない世界の調和を求めている。

1995年に、被爆50周年の原水爆禁止世界大会が広島で開かれた。

あのときの国際会議で、国連の軍縮大使の女性が演説したのを覚えている。

世界の流れは軍縮であると。

軍備を縮小し、核兵器をなくし、飢餓や貧困を根絶しようと。

その夜の女性のつどいも感動的だった。

ロシアの母親も、アメリカの母親も、イギリスやフランスやフィリピンや韓国の女性も、私たち日本の女性たちも、30を超える国々の女性たちが、子どもを守るために、核廃絶を訴えた。

そこには、チェルノブイリ原発事故で強制的に駆り出され被ばくした兵士を治療しているリトアニアの医師や看護婦の女性たちもいた。

いま、福島の原発事故に心痛め、首相官邸を取り囲む20万人の人々の声が、世界の女性たちに届いてほしい。



居間で、夫と娘が「あと一人!」と応援する声が聞こえてくる。

大歓声…ついに、日本1に輝いた。


胴上げされた秋山監督が、満面笑顔でインタビューに答えている。

ソフトバンクの若いピッチャーも、中日の年配のピッチャーも、額に汗して投げていた。

守る選手も、打つ選手も。いい勝負を感動をありがとう。

夕方は、おばあちゃんが相撲の応援をしていた。

スポーツは楽しい。

見ているものどうし、絆が深まり、元気づけられる。

それにしても、強いね!ソフトバンク。



朝、少し肌寒い中、車に8人、乗り合わせて春日市のクローバープラザで開かれた第53回福岡県母親大会へ

記念講演は、元沖縄県宜野湾市長の伊波洋一(いは・よういち)さん。

「普天間基地から日本と憲法を考える」声も美しかったけれど、内容がまた、大変すばらしかった。

米軍基地に脅かされて暮らす町の様子が、どんなにひどいか、よくわかった。

脱原発をめざす講座は、九工大の岡本良治先生。道すがら、たんぼ脇にはヒガンバナが満開。(写真がなくてすみません・・・)


夕方まで、決算委員会。

夕方ご飯を家でたべてから、核兵器廃絶と原発なくそうの集会へ。


長崎の原水爆禁止世界大会へ行った方たちの報告。

今年は8千人も参加していたそうです。

平和行進に参加したみなさんの報告。

去年は、どしゃぶりの雨の中、歩きましたね。

今年はお天気でよかった。

福島の原発事故のため、避難生活をおくる方たちや、長年、原発をなくす運動にがんばってきた現地の方たちのたたかいには、胸を打たれました。


日常の、家族とのささやかな生活のありがたさを思います。


昨日、久しぶりに夫と出かけて、市民劇場の例会で前進座の「穴まどい」を観た。


江戸時代、仇討で34年も別れ別れだった夫婦のはなし気のめいるような話なのに、涙と笑いのあふれた舞台で、終わって帰るグループのあちこちから満足した笑顔と、役者の演技のうまさに感嘆する声が聴かれた。


そういえば先日、87歳で、まだ自営業の事務をしているわたしの尊敬している女性が、夫の健康状態は決してよくないけれど

「夫がいてくれるのは、とてもいいですよ」と語ってくれた。

微笑んだ上品な顔が、実にチャーミングだった。


美しい手

2011年08月26日

きのう、久しぶりに手話教室をのぞいてみた。

楽しそうな笑い声。

二人の聴覚障害者と通訳の女性ひとりが先生。

手話で話す人は、表情がゆたかで笑顔がすばらしい。


「名もなく貧しく美しく」の映画のように、うつくしい手。

東日本大震災で、親しかった通訳を亡くした方の話をテレビで聞いた。

耳が聞こえなかったその人は、目も見えなくなったが、それでも、触手話で通訳を通じて、社会とつながってこられたのだが・・・


手話ができる人がもっともっと増えてほしい。

普通の生活ができるように、通訳を市に複数、配置することも願い。

昼から、議会に一般質問や請願の書類を出しに行く。


9月1日から、定例議会が始まる。


復活します!

2011年02月05日
またブログを始めます。

友達が手編みの靴下をもってきた。
ロンの散歩で足がしもやけになってしまった。
「それからブログまた始めなよ。気楽に書いてさ。ワンコのことからでもいいとよ」
やさしい彼女には、逆らえない。

「ドライアイになって・・・」
「腱鞘炎に・・・」とパソコンをできるだけ遠ざけてたけど。
いま、「糸島の風」の6号は手書きで書いてる。

ほとんど手書きなんて、久しぶり。楽しい。

今日はまえばるj女性ネットワークの交流会に行って、元気な女性のみなさんと楽しくおしゃべり、ダンス、学習。去年は、毎月のようにDVの相談があって、弁護士さんのところへいっしょに行ったり、アパートを探して走り回ったり、いろいろなことを思い出し、その話をした。

お昼にみんなで食べた西の堂の○さんのお弁当が最高においしかった。
あの値段で、糸島の新鮮野菜を使った色とりどりのおかずにごはん。ほんとに良心的
写真をとってきたらよかった!

お見舞い

2009年06月26日

いつも、赤旗はおもしろい! 

前原の風が楽しみよ、と言ってくれる友人が、乳がんになった。


仕事帰りにビラをもって訪ねると、にこにこしてからだに気をつけてがんばってくださいね、と言う。

ちっとも変らない。

カツラを脱いで髪のない頭を見るまでは。


病気って、お金がかかりますね。

福祉のまちをつくってほしいわ。

120億円の中央ルートなんかいらない。

そうそう。6月議会で、市長派の自民党の議員が、「100年先のために、つくれ」と言っていたけど、いま、困っている市民のためにこそ、使うべきお金です。

帰りに野菜をもらって帰った。

彼女みたいに、素朴でふるさとみたいなイボイボのキューリとなすを。


夕べも夜遅く帰って、夕飯を食べようとしていたら、スポーツニュースを見ていた夫が

「ほら、君の声を聞いて、ロンが尻尾を振っているよ」という。

見ると、ベランダでロンがすりガラスに顔を寄せて、一生けんめい尻尾を振っている。


ドアを開けて「ただいま」と頭をなでると、顔をペロペロなめる。

どんなに遅く帰っても、ロンだけは必ず起きてくる。

はじめてイヌを飼って、その愛情の深さに驚いた。無欲の愛。

私利私欲のないつぶらなヒトミのカレ。

ガストで、友人と(コーヒーを)いっぱい飲んで遅く帰った朝も、6時にはロンと川べりを散歩しているわたし。

イヌの力は、偉大だ。

若いとき大病したあと、毎日ストレッチとか散歩をしたほうがいいと医師に言われたのに、忙しくてできなかった。

この半年、ロンのおかげでなんとか続いている。

猫を飼っている友が、イヌの写真をブログに載せて。見たいわ。と言ってきた。

写真は苦手だが、やってみましょう


雨よ、降れ!

2009年06月19日

ロンと散歩に行くと、今朝もからからの田んぼにホコリが舞っていた。

家庭菜園の人が「水汲みが大変」と言いながら、家から運んできたペットボトルの水を野菜にかけている。

花いっぱいの庭をつくっている近所の奥さんは

「夕べ、お水をあげたのにもうカラカラよ」と、植木鉢を指差す。


梅雨になってからまとまった雨が降ってない。

早く、雨よ降れ。


トラクターで毎日、田んぼを耕していた麦わら帽子の農家のおじさんたち。

冬の間、草ぼうぼうになっていた田んぼが、みごとに美しく生まれ変わって、田植えを待っている。

早苗がそよそよと水面に揺れる様子は、なんとも言えず、懐かしくていいのもだ。

「来週から降ると言っているよ」と農家のおばちゃん。

よかった。


たった今、「ほれ、もぎたてのきゅうりとたまねぎ」と言って、知人のIさんが野菜を届けてくれた。

無農薬の実においしい旬の野菜。

台所でぬか床に手をつ込んでいた母が「ありがたいねえ」。


一本のお酒

2009年06月18日

きのう、市役所前で朝の演説してかえる途中、知り合いのコンビニで「白糸」という地元のお酒を買って帰った。

おととい、姑と少し口げんかしたので、仲直りに。

さいわい「わたしこそ」と向こうも謝ってくれた。

外ではいろいろなことがあるから、家庭はできる限り平和がいい。


わたしはコーヒーくらいしか飲まないが、夫の母はお酒好き。

まずは、彼女を味方にしなければ、日々の生活はままならない。

おかあさま、よろしく!


北朝鮮の核実験は、唯一の被爆国の日本人として、広島・長崎の悲劇を知る者として許せないことだ。

12年前のフランスの核実験反対運動を思い出す。

天神の警固神社に夜大勢の市民が集まって、夜空の星の下で、太平洋での核実験をやめさせようとこぶしを突き上げた。

その年、広島で開かれた原水爆禁止世界大会には、空前の1万人、フランスはじめ140人の海外代表団が集った。そのとき友人になったフランス人の女性とは、今も文通している。

「ポリネシアの海を、放射能で汚染させるわけにはいかない。

子どもたちのために!」と訴えたビト・マーアツーアさんの日に焼けた若々しい姿と演説は、今も忘れない。


核大国アメリカのオバマ大統領が、4月5日、米大統領としてはじめて、核兵器を使った国としての同義的責任を表明した。

それに対して日本共産党の志位和夫委員長が、歓迎の書簡を送ると、5月20日にアメリカ政府から返事が来て、「あなたの情熱をうれしく思う」と書いてあった。


国連に加盟する192の国々では、核兵器廃絶のながれが、大きくなっている。十一年前、長崎の被爆者や科学者、平和運動家などからなる核実験の被害調査で渡米した。

アメリカは、広島・長崎に原爆投下した後も、1千回もの核実験を地下、地上、太平洋で行い、米軍兵士やネバダ核実験場周辺に無数の被曝者がいる。


核大国は、放射能汚染大国でもあった。ガンや白血病、奇形児出産などの影響は、世界の核実験地帯で広がり、数百万の被曝者が苦しんでいる。世界にある核兵器は、ロシア、アメリカ、フランス、イギリス、中国などで2万発以上。

ひとたび核戦争がおきれば、地球はほろびる。

この地上から、すべての核実験と核兵器をなくすことが、国際社会の最優先の課題だ。

核装備に使われるぼう大な税金を、飢えや貧困で苦しむ人々の救済に使えば、世界はもっと明るく平和になるだろう。 


毎月6日か9日、原水爆禁止糸島協議会の人たちと、駅で「核兵器廃絶署名」に取り組んでいる。

夏(7月)には、広島・長崎へ平和行進も。思想信条をこえて、すべての核実験と核廃絶に力をあわせよう。


しばらく休みます

2009年02月09日

眼精疲労と肩こりの原因は、過労とパソコンにあるようです。


購入して4年のパソコンの調子が悪く、立ち上がりが遅くてしばしばトラブルので、しばらくブログを休みます。

赤旗新聞に入れている読者ニュースも、手書きにしようと思います。


この間、障害者作業所をあちこち訪問したり、弁護士事務所に相談者を連れて行ったり、いろいろ書きたいことが山ほどありましたが、ちょっと断念。


作業所に入るなり私に、「あっ、いとうちよこさんや」と変わらず、笑顔であいさつしてくれたY子ちゃん。元気が出るなあ。いつもありがと。


「糸島地区で1000戸ぐらい空き室があるらしい」と不動産関係の仕事をしていた市民の方が言っていたが、本当だろうか。

たしかに町内のあるマンションも、建って一年以上になるのに、60戸のうち、10戸くらいしか入っていない。

「販売売会社も変わったようです」

「引っ越してきて、隣がみんな空き室でだれもいなかったら、ちょっと怖いですね」

「エレベーターや廊下、玄関の電灯など、管理費はどうしているのでしょう」


市は、「九大が来る」「ビジネスチャンス!」と声高に宣伝し、地主さんのなかには、銀行や建設会社の勧めでこの数年間、マンションを建設する人が増えた。

あっちでもこっちでも。


昨年、真冬の雪が降りしきる中、「ワンルームマンション反対」と、おばあちゃんたちが座り込みをした九大生向けマンションも、建設完了後のいま1割も入っていないようだと聞いた。

「10年前のマンションラッシュの時は、建設完了前に完売していた。今は全然違う」

というのは、一戸建ての住宅がマンションに挟まれてしまったAさん。

「九大学研都市構想とか言うけど、文化的なまちづくりをするわけではない」

とAさんは続ける。

「九大学研都市駅をごらんなさい。どでかいパチンコ屋と商業ビルとマンションだけ。自然に囲まれた町で、穏やかなくらしをしたかったのに、がっかりです」

「マンション業者は、もっと地域の人たち、前から住んでいる人の意見を聞いて、建ててくれたらいいのですが・・・」


お金儲けのまちづくりではなく、住んでいる人が「住んでよかった」と思えるまちづくりが、多くの人の願い。


先日、九州大学の大先輩で、福岡市南区に住んでいる日本共産党の藤野達善さんから、ご自身が書かれた「10メートル以上のマンション建築ゼロ」の本を買い求めた。

多賀・高宮の緑と環境を守る会の会長としての奮闘記。あの福岡市で!すごいの一言です。


お休み前の幸せ

2009年01月27日

夜10時に帰ってきたら、犬一匹だけが出迎えて、だれも彼も寝ている。

めずらしい。


しめしめ。遅い夕飯を食べながら、NHKのプロフェッショナルと世界遺産のテレビを観る。

Aコープのぶりのあら炊きに、おからの卯の花。いただきもののカブを酢漬けにしたもの。

貸家だけど、とにかく休める家とあたたかい食事とこたつ。


こんな平凡が一番。派遣を切られ、寮を追い出される若者のニュースに、だれもが涙し怒った。福岡でも、東京の派遣村のようにまた炊き出しの準備をしている。

今日であった市民の方々の顔と会話を思い出しながら、大事なことだけメモして寝よう。

柿の古木のある家の庭で話したおじさん。アパートの玄関先で、くらしの相談をしてきた女性。農業振興地域の田んぼが売れないで困っているという農家の奥さん。

暗い中、犬の散歩をしていた人が、「伊藤さん、聞きたいことが・・・」と話しかけてきて。

あっちでこっちで焼き鳥もらったり、たこ焼きもらったり。

「いつも前原の風をもらいよるけん・・・」と。

明日は、中央ルート反対の宣伝行動。8時には市役所前に集合。

その後は、県の土木事務所に。みなさん、よくがんばります。


心の財産…

2009年01月03日

28日の晩、11時ごろ、前原駅に夜の見回りに行こうとしたら、ちょうど東京から一晩泊りに来ていた妹が、玄関で見送ってくれた。

「おねえさん、寒いから気をつけてね」と言ってから、こんな話をした。

「うちのMさん(彼女の夫)、この前、一人暮らしの高齢の女性の方が入院されたので、入院の手続きやら何やら、まるで本当の息子のようにお世話したのよ。

それに夜がどんなに遅くなっても、朝早く明け方には起きて、寒い中、赤旗しんぶん配りにいくのよ。

だからね、あなたのお母さんは、すごく立派な子育てをしたのねって言ったの」

「そしたら、彼はなんて言った?」

「母さんに会ったら、そう言っておくよって。うふふ…」

化粧っけのない、質素だが笑顔のきれいな妹が、白い歯を見せて笑った。

東京のど真ん中で、わずか2Kの狭い狭いマンションで、日本共産党の区議会議員をしている夫と、中学生の息子と三人で暮らしている。

田舎の緑あふれる山の中の広い家で育った私たち姉妹には、がまんできないような環境で、不平ひとつ言わず、楽しそうにしている。

喘息もわずらいながら。そのときは、ふーんと聞き流して忘れてしまったのに、夕方、ひとりで日暮れた街の歩道をもくもくと歩いていたら、妹の笑顔とそれらの言葉がふいによみがえってきた。

40代とは思えないあどけない笑顔の妹。

どうやら、心に財産をもっているんだ。あの子は。


議会のたびに、ぼう大な原稿を書くのでひどい肩こりになる。

整骨院やマッサージに行く時間がないので、シップやストレッチのお世話になっている。

30年、病院と縁がない夫も、おなじく肩こりに悩んできた。

二人で電気店のマッサージ器に座り、至福のひととき。

「きみ、口あけて寝てたよ」

「あなたこそ」

とお互いを責め合っていたら、店員から「展示品は半額ですよ」と聞く。


肩こりがひどいと、パソコンをさわるのもイヤで、仕事が進まない。

「よし。買おう!」と決め、暮れの31日に、清水の舞台から飛び降りる覚悟で契約する。

家に帰って報告すると、娘とおばあちゃんは

「この狭い借家のどこにおくの?」

と心配そう。少ししょげて実家に電話すると、母が「仕事のために必要だったら、よい買い物をしたね」と言う。

40年間、農家の主婦をしながら、あちこち病気しながら外で働き続けてきた母なればこその助言。

昨年末はおばあちゃん(87歳の夫の母)が具合が悪く、入院、退院、検査と忙しかった。

いま落ち着いて、お正月を迎えられ、ほんとに良かった。

年の暮れ、差し押さえの相談が続いた。

激動の時代。多くの人に助けられ、励まされ、今年もがんばりますよ。


大企業の派遣切りで家を失い、路頭に迷う若者の記事が新聞をにぎわしている。

日本共産党の西部地区事務所にもお米が送られてきて、炊き出ししているボランティアに届けたと聞いた。

年末、近所の後援会の方が、「ホームレスの方に募金を・・・」と我が家に夫婦でこられた。

いたたまれない気持ちになられたのだろう。

夜中に共産党の支部の方々と、駅や公園を見て回った。

さいわい、極寒のなかで、夜を過ごす人はみかけなかったが、福岡市で炊き出しにでた人の話では、昨年よりすごく増えて、食事が3度のところ、2度までしか供給できなかったと言う。

一生懸命働いて、しあわせになれない社会はおかしい。

しあわせどころか、夜露を寒さをしのぐ家がなく、コンクリートにダンボールのねぐらとは、ひどすぎる。奈良時代や戦国時代ではない。

宇宙旅行さえできるような時代に。


昨年、議会で住宅について取り上げた。

「火事で焼け出された人が、その夜泊まるところがない。大変な被害にあいながら、泊まる先まで探すのは気の毒だ。年間20件ほどの火事があり、政策空き家をつくって、対応してほしい」と頼んだが、市は「お金がない」という。


その一方で、区画整理事業(事業費8億5000万円)をやって、農業振興地域の20ヘクタールの田んぼをつぶし、住宅開発をするという。

ここには、市会議員の土地もある。

巨額の造成工事は土木業者の要望。納得がいかない。


2009年が始まった。

今年もどうぞよろしくお願いします。


彼の名は、ロン

2008年12月09日

猫ばかり飼ってきたわたしが、この11月から柴犬のおかあさんになった。

まだ2ヶ月のあかちゃんだから、お漏らしの世話やごはんの世話、だっこしたり庭を散歩させたり、予防注射を受けに連れて行ったり。


ちぎれんばかりに尻尾をふって、愛情をふりまくフレンドリーな彼の名は、ロン。


このところ、過労気味でくたびれていたわたしを、無心にしてくれるかわいい子。

6番目の家族。

最近、夫婦、嫁姑、親子の喧嘩が減ってきたような。ありがたや。

いまは、居間の一隅のサークルの中で、立ち上がってこっちを見ながら尻尾を振っている。

夕べ来た犬好きの友人一家は、かわるがわる抱っこ。

かわいい!かしこくてお利口な犬ねえ・・・。

たぶんその言葉がわかるみたい。

いろいろ、教えられる。

ちなみに、いま息子はロンドンにいる。


今朝、ビラ配りをしていたら、空が真っ青なくらい青かった。

あまりにきれいで、娘と息子にメールで知らせた。


のどかな農家の庭先で、80歳すぎのおじいちゃんが、おばあちゃんの髪をカットしていた。仲のよい二人。

わたしをみつけたおじいちゃんは

「おお、いとうさん。久しぶりやね」と笑顔で声をかけてくれた。

「あなたのビラは、いつもひもでとじて、ぜんぶもっているとよ」と言う。

なんとうれしいことをいってくれるんだろう。

この集落だけで、「前原の風」のバックナンバーを集めてくれている人は、知っているだけで3人もいる。


3人で、稲刈りの話や、薪でご飯を炊いていた頃の話をして盛り上がった。

少し行くと、自民党の国会議員で、最近、農林大臣をお辞めになった人のポスターが、玄関の壁に貼ってある家があった。

「愛の力」とポスターに書いてある。ちょうどご主人が出てきた。

「風」を渡して、「お元気ですか」と声をかけると、奥さんの具合が悪くなり、ヘルパーさんを頼むようになったという話しをきいた。

年金が減って、大変だと言う。

20分ほど、しみじみ話をした。

あちこちで、一生懸命生きている人たちに出会う。

昼から、二丈町に行った。

後ろに若い女性を乗せていたので、高速を走りながら、安全運転。


ふと、玄界灘の海が見えた。

目にしみるような真っ青な海。

福吉の山の上でも、遠くにきれいな青い海が見えた。


今日は空も海も青かった!


仁比(にひ)そうへい参議院議員、川原やすひろくんを迎えての演説会、満員だった 「国政がよくわかった!」「参加してよかった。感動しました」感想をきくと、うれしくなった。11月1日土曜日、約130名の方々が参加してくださり、会場の視聴覚室がいっぱいに。わずか1週間前に決定した企画だったにもかかわらず・・・

川原やすひろくん(27歳)は、派遣やサービス残業で苦しむ若者とアンケート活動や集会など取り組んできたことや、日本共産党の候補者になろうと決意したときのことをユニークに語り、「理解してもらえるか心配だった父が、『息子を誇りに思う』と手紙をくれたエピソードには、思わず涙ぐむ人もいた。

仁比議員は、金融問題から平和問題まで、国会の情勢と重ね合わせて45分間、わかりやすく語り、多くの人がうなずきながら、拍手しながら聞き入っていた。

初めて共産党の演説会にきたという人たちからは、「にひさんの話は、あっという間で、もっと聞きたかった」「底辺の暮らしを良く知り、精力的に活動してあるのに感動した」「胸がいっぱいになった。勇気がわいた」と、感想を寄せてくれた。

わたしは、前原市が県下の26ある一般市で、「実質公債費比率」が一番悪い借金財政であることを話した。合併後、九大学研都市構想にもとづくぼう大な公共事業で財政がはたんする危険性もある。

その話は、ぜひ詳しく知りたいとの声が多かったので、いまニュースをつくっている。

最近、あちこちで、「中央ルートはなぜ中止にならないのか」と聞かれる。

多くの市民が、思った以上に、中央ルートのムダづかいに怒っていることが分かった。


11月1日、夜8時から、日本共産党演説会を開催します。

健康福祉センターあごらです。弁士には、参議院議員の仁比(にひ)そうへいが参ります。

金融不況をどう解決すればいいのか、国民の暮らしを守るにはどうすればいいのか、わかりやすくお話します。ぜひ、おいでください。


にひそうへいプロフィール1963年、北九州市生まれの45才。京都大学法学部卒業。新日鉄の不当配転とたたかう父を見て弁護士に。「にひ先生に相談すると勇気がわく」と評判に。オンブズマン北九州市事務局長としても活躍。北九州市の年間1億円もの官官接待を事実上やめさせる。2004年、比例区で参議院初当選。国会でダントツの発言回数。「日本共産党のイケメン代議士」と雑誌に特集されたことも。憲法と環境、人権をまもるために、全国をかけめぐる。家族は妻と子ども2人。県内では、トヨタが期間工を800人削減(モノじゃないぞ)するとか、首切りやリストラが広がり、銀行の中小業者への貸し渋りが始まって、倒産が増えつつあるといいます。不景気なると、いつも労働者、弱者が犠牲になる。これでよいのでしょうか。10月27日の日刊「赤旗」に載っていたけど、年間所得が100億円を超える大金持ちが全国に十人いるそうです。(百億円は、前原市の一般会計の年間予算の半分より多い!)この人たちは、「証券優遇税制」の延長で、10人で合計183億円の減税になったそうです。ちょっと、大きすぎて想像できませんが、この延長案に、自民、公明だけでなく、民主党も賛成したとは。

前原市でも、この議案が条例案として議会に出たとき、わたしが反対討論をしました。「不況打開と言うなら、大金持ち減税ではなく、庶民に減税すべき」と。

しかし、自民系、公明、民主、社民の方々の賛成で可決しました。

派遣の若者たちが、年収130万円くらいで、4~5万円くらいの市県民税をとられたと聞きます。

中小業者は、税金のために働いているようだと。とるべきは、大企業と高額所得者からです。


びっくりしました。

コメントくださったsachikoさんと同じ思い出をもっています。

わたしの心に、いつまでも残るあの懐かしい田舎の小学校。

子だくさんの時代だったせいか、山あいにあるのに、全校生徒は600人。(一学年3クラス)


そこで何より楽しかったのは運動会。

朝から校庭の南側の農道に、20軒くらいのお店が並んで、まるでお祭りのよう。

お正月の神社やお寺の参道みたいなにぎわいです。

あめ玉やガム、チョコレートなどのお菓子だけでなく、おもちゃの人形だの、パンパンと大きな音の出る鉄砲だの、まりやボールだの、笛を吹くと「ピーヒョロロ…」となって、赤いテープが伸びたり縮んだりする笛だの、ふだん、買い物に行く機会の少ないわたしたちには、天国のようでした。


昼休みには、母から小銭をもらって、友達や妹たちと店を回って買い物するのが何より楽しかったものです。

秋晴れの運動会には、くだものやご馳走をどっさり持って、近所の人たちが総出で応援にきました。

あの悲惨な戦争が終わって、15年から20年のころです。

どこの家にも、戦死した夫や息子の遺影が飾ってありました。

平和である幸せ。

質素だけれど素朴なしあわせを体中に感じて育ったことを、今も感謝しています。


夫は、きのう、スイスのジュネーブへ旅立った。

日本の公務労働者の実態を、国際労働機関ILOに訴えに行くため。


ワーキングプアが社会問題になっている日本で、公務労働者の非正規雇用も増え続け、恐るべき低賃金と、かんたんに首を切られたりするような無権利状態におかれている。

今頃は、自治労連の代表団のみなさんと、向こうに着いているだろう。


夫が、大野城市のまどかぴあを不当解雇されたのが、今年の3月。

先日、労働審判が下され、雇い止めの不当性を認め、248万円の支払い命令がくだされた。

もちろん彼は、職場復帰を求めて、福岡地裁へ提訴の予定。

「まどかぴあは、文化と人権のシンボルなんだよ。

そこで、こんなことを許すわけにはいかないからね」と、日々、訴えに走り回っていた。

のんきで、穏やかで、文化の仕事一筋だった彼が、戦い始めて半年。

今回の代表団に選ばれたことで、多くの募金と激励の声があった。

ありがたいことだ。

人間性を踏みにじる権力の不当に怒り、つらい立場に追いやられた人々に寄せる共感。


人々のまっとうでヒューマンな心が、世の中を良くしていく力だと、つくづく思う。


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